《経歴》
1987年 東京都立大学物理学科卒業
あまり優秀な学生ではなかったが、ちょうどの単位で卒業。まったく興味のなかった講座で課題になっていたレポートを友達のを「参考」に出して獲得した2単位がなければ留年であった。先生、どなたかは存じませんが、その節はありがとうございました。
1987年 日本アイ・ビー・エム株式会社
SE→ITスペシャリスト(ネットワーク)→ITアーキテクト(インフラ)として、四半世紀と少し公共関係の大規模プロジェクトを中心に仕事をし、システムの企画、構想から運用保守までの全局面を経験した。上流の企画や構想策定の局面での仕事が多く、1人ないし少人数で顧客から飛んでくるあらゆるタマを受けているうちに何も怖くなくなった感がある。なんでも知っているわけではないが、どんなものでも言われればなんとでもする要領を会得したというか。若い人には、是非最前線でタマを受けまくることをお勧めしたい。傷も負うでしょうけど、治れば倍強くなるもんです。
2015年 EYアドバイザリー株式会社(現EYストラテジー&コンサルティング株式会社)
どうせ上流をやっているならとコンサル業界に移る。相変わらず、大規模案件の支援などをしていたが、2017年から2022年まで人事院と最高裁判所においてCIO補佐官の仕事につき、アドバイザー的な仕事の仕方にシフトする。素人を相手にわかりやすく説明する責任の重さについて学んだ。
2022年 最高裁判所デジタル戦略アドバイザー(2024年3月まで)
最高裁判所でもCIO補佐官が廃止されたことに伴って、2年間非常勤職員として勤務した。キャリアの中で、唯一公務員だった時代でそれなりに楽しかったがパートタイムでできることにはやはり限界があることを悟る。
2022年 グラビス・アーキテクツ株式会社(現職)
最高裁判所と同時に、プリンシパルアーキテクトとしてグラビス・アーキテクツに入社。今にいたる。